勝山のひとり話しと日記《4》勝山の挫折と再起

三十代の中頃、暴走族のリーダーが警察にお世話になった仲間を五人入社させ、三輪山下の船出でした。その後、いろんな問題はありましたが、現在は社長になったり世の中でリーダーシップを発揮したり活躍しています。
暴走族のリーダーは、経営者の娘さんと結婚して私の手元から離れていきました。

昭和60年に『株式会社三輪やました』を創業した40才から53才まで順調業績を上げ業界での地位も上位になりました。
そして社屋1000坪の敷地が公共事業で立ち退きになり高額な立ち退き料が入りました。そのお金で長年の夢だった、『三輪の里で三輪そうめんの里作る事』を計画し、競売物件を手に入れました。
その土地に他人が入り込み私達が解決出来なくなり困っていた時、解決してくれる人が現れ解決してくれました。
その人を信用し会社の役員にしましたが、その役員の仲間に『株式会社三輪やました』は乗っ取られてしまいました。
全て失い家族も離散し、私は死ぬ事を選ぶ事も出来ない環境でワンルーム生活になりました。
私は麺職人として、月10万円、手取り2万円で4年間働きました。

 ある日、当時の勤め先の社長さんのご好意で一切お金のない私が、工場・事務所を借り独立し『三輪山勝製麺』を立ちあげる事が出来ました。
その二年後、『株式会社三輪山勝製麺』として創業する事が出来ました。これも全て私を支えて下さった皆様と山下家のお陰です。

人は欲の為に相手を落とし込む人もいるが、私を障害児から一人前にして下さった人、私を奈落の底から引き上げて下さった人、そして両親先祖のお陰と私の生き方、理念と努力で今日があると思います。

今はお客様や従業員のお陰で楽しい良い会社になりました。

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